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ジンギジュちゃん

ホンビンのドラマ「水曜日午後3時30分」(수요일 오후 3시 30분)の主演の女優さんのジンギジュちゃんを調べてみました。アイユとイジュンギが主演の月の恋人にも出てました。その時はアイユの役のお手伝い的役で、その時から可愛いな〜と思ってたからホンビンと共演することを知って実はびっくり(笑)

 

*訳が必ずしも間違っている場合もあると思います。

*もし間違いを見つけたら教えてくださると幸いです!

 

公式HP(JIN KI JOO)より

誕生日:1989年1月26日

身長:170cm

体重:50kg

血液型:B형

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今年28歳なことが信じられない...

所属事務所はチョインソンと同じIOKCOMPANYです。

 

 

インタビューが個人的には面白かったので。

tenasia.hankyung.com

 

My Name is ジンギジュ. 

本名だ。漢字は 터(基、土台の意)の기(基)に 두루(万遍なくの意)の주(周)を書く。おじいさんがつけてくれた時には間違いなく何か意味があっただろうが、聞けなかった。(笑い)

 

江原道で幼少期を過ごした.

故郷はソウルだが、とても幼い時江陵に引っ越した。そのうち小学校の時春川に移ってその時からそこに住んだ。遊ぶのが好きで無条件外に出て駆け回った。バッタも捕まえて。へへ。とても黒かった。この程度白くて。(笑い)遊んでケガしたことも多くて足に傷跡が多い。幼くては、科学が好きだった。江原道内に天才教育院という、言うのがちょっと恥ずかしいが、(笑い)試験を受けて通過した中高生たちを大学教授が教えるのがあった。そんなものを全て訪れるぐらいに好きだった。地球科学や生物、化学、全部だ。

 

大学ではコンピューター工学を専攻した。

工学生に対してロマンがあった。「大変になりながら」勉強もして、皆で集まって「チームプレイ(共同課題)」もたくさんしてみたかった。同期たちだけで一緒に「エイエイオー」と頑張ることに対して夢があって工学部に行きたかった。コンピューター工学を選んだのはお父さんの影響が大きい。どうせ工学部に行くなら後にどんな職業を選択してもテクニックがあればまた何かできるからそれを学べとおっしゃった。その時は私も好きな勉強と就職は別物だと考えてもいた。でも実際にやってみると、私と合わなかった。

 

ある時は記者が夢だった。

随時で大学に入った後新聞放送学科を副専攻にした。言論スタディーもちゃんとやった。でもお父さんの反対がひどくてほぼ1年喧嘩した。4年生の時ずっと喧嘩したとみたら良いと思う。結局卒業してからは両親が望んでいた通り企業に入った。初めに入社した時は「どうせ受かったから3年は勤めよう」、そんな気分だった。3年勤めたら26歳で、社会にまた出ても大丈夫だろうと思って3年ばかり耐えようと思ったが、2年ほど勤めた。働いていたところ?サムスンSDSでITコンサルタントとして働いた。私も初めはどんな仕事なのか1つも分からなかった。入社してから技術営業というものが何か、その時分かった。

 

演技が本当にしたかった。

会社を辞めてから本当にしたいことを探そうという気持ちだったが、勇気が出なかった。演技がしたくなったけど、家で何ヶ月も布団をかぶってうめいていた。両親に演技がしたいと言うのもできなかった。すごく苦しくて友達とカカオトークで話ながら「私、実は演技がしたい」と、急に言ったら友達が「何?」と言ってまた違う話で続けた。(笑い)結局、また記者の準備をした。していたこともあって自然に手が伸びて公募も受けていた。そうしているうちに江原民放公募に合格して勤務した。そこは3ヶ月、修習期間いた。やりながらこれは私が望んだものじゃないと感じたが修習期間に出ていったら辛くて耐えられず出たと話されるかと思い、そんな誤解を受けたくなくてその期間は耐えてやめた。そのあとにスーパーモデル選抜大会に出ることになって、本選に進出した人たちを大会主催側から会社の顔合わせに手配してくれて今の所属事務所(IOKCOMPANY)に入ることになった。

 

tvN「2回目の20歳」が初作品だ。

私の人生での初撮影がチェジウ先輩と取り組むシーンだった。(省略)

 

「2回目の20歳」の時「アルム」で呼ばれた。

(省略)

 

MBC「ポンダンポンダンLOVE」は1ヶ月半ぐらい撮影した。

(省略)

 

「ポンダンポンダンLOVE」のソヒョンは上手にやりたいと気持ちが大きかった。

(省略)

 

MBC「もう一度ハッピーエンディング」に出演する予定だ。

(省略)

 

俳優の職業的サイクルが私に合っているようだ。

私が新しいことを続けたい性格があって、その点で演技をすることがとても良い。やる度に新しいから。そして私ができるかと思っていたことを本当に努力して成し遂げた時の達成感がすごく大きい。もちろん、ストレスも多い。次の作品をするまで長い時間をかかったらどうしよう、という心配。オーディションを受けた後の結果が出る前までのその緊張感。ずっと試験ち試験の連続だから。でも大丈夫。その後に得るものが大きいい。成長感もそうだし、『「2回目の20歳」で好きで「ポンダンポンダンLOVE」も見ました』という方がいれば「ほっ、そんな方がいるのか」という気持ちに次はもっと上手くやらないと考えを持つ。

 

肯定的に生きようと努力する。

性格的に小心でもあり敏感な部分も多く恐怖も多いが、それでも積極的に生活しようと努力をたくさんする。幼い時はとても敏感で胃炎になって過ごしもした。毎日病院に行くと性格のせいで痛いのです、だと。高校の時もストレスのせいで片頭痛もひどかった。しかし、職場生活を2回してそうなのか、今はただ心を楽にするようになっている。一生懸命やった時(補償が)帰ってきたら良いだろうし、なかったらまたやって、このような心が少し生まれたようだ。その時の経験が人生の内面に! (笑)

 

座右の銘「Trust Yourself」だ。

なぜなら、学生時代に勉強する嫌なら問題集の前後の表紙の文章をすべて読んでみるじゃないか。 (笑い)その時見たフレーズだ。自らを信じなさい、私は自分を信じなさい。その時からこの言葉が座右の銘になったが、このように考えてみると、自信が生じるような気もして、自分で清く生きなくては、という気もするようだ。今こそ結果が良いから「ああ、よくやった」と思うが、いざ私の夢を決定するまではとても怖かった。その時たくさん力になった。

 

どんな俳優になりたいかは、

今年の年末ぐらいに言えるのではないか。演技をやり続けてみると私がどんなキャラクターをやるときに最もよく表現できるか分かると思う。それを探す時までは多様なものをやってみたい。そうして情がいく性格のキャラクターがあればそれをたくさんやってみるだろう。2016年は今やっているほど、ずっと作品をやりながら次の作品を準備しておいて作品を終えることができたら良いだろう。実は、それが「最高」だろう。(笑い)

 


これで大体のギジュちゃんが分かるはず...!

私はその人自身の話の方が作品に対する話よりも気になってしまう性のため、所々飛ばしたり、途中の作品のところは省略しました。気になる方はぜひ原文を見に行ってみてください。

大学に行って就職してから記者やってモデルやって今に至るってすごすぎいいいぃぃ!

ということで、補足情報。

 

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news1.kr

中央大学コンピューター工学部を卒業して、サムスンSDSで職場生活をして、修習記者を経てスーパーモデル選抜大会に出ながら芸能界生活を始めた。

(中略)

『演技者になりたいという気持ちを持ち始めたのは最初の会社員、サムスンに勤めてからなんです。少しずつ仕事にしたい、演じたいと思いはしたのですが勇気が出なくて心に溜めておきました。記者生活をする時ぐらいに勇気を出したのです。遅く始めるのが心配されたが俳優は年齢がないでしょう。オーディションを受けに行く時に年齢の話を本当の多く聞きました。年齢が欠点だと思っていないかという話もたくさん聞いたが、そんな話を聞くほど、むしろより「なぜ?大丈夫だけど?」と思いました。』

 

 

sports.donga.com

コンピューター工学を専攻した彼女はお父さんの願いで大企業サムスンインターンに志願してその後インターンのための公募選考でも最終合格した。しかし、学生時代から記者を夢見たジンギジュは退社後G1江原民放記者として働いた。

私にとって江原道は第2の故郷です。小学校から高校まで江原道に住んでいたんです。

 

スーパーモデル大会の志願は、4歳の年の差姉の一言で始まった。

「記者職をやめ無職生活をしているときに姉と夜明けにTVを見ていました。 スーパーモデル選抜大会広告が出てきましたんです。 姉が「書類出してみな」と推薦をしてくれました。 私は自己紹介書を書くことをたくさんやったじゃないですか? (笑い)1次選考が書類の受付なので一度だけ書いて出してみました。 1次選考から面接審査だったら意欲は沸かなかったでしょう。 幸いなことに書類通過になって合宿段階まで行った。

 

ジンギジュはスーパーモデルの面接の段階から最終選考まで「異邦人」であった。 大学時代、素顔に眼鏡をかけて通っていた彼女は、サムスンに入社した後に初めて眉毛の化粧をした。 彼女に派手で高慢なスーパーモデルの世界は不慣れしかなかった。

 

サムスンの新入が学ぶ体操があります。 スーパーモデルの面接の時かくし芸にその体操をしましたよ。 私はとても混乱したが、幸い審査員は記憶に残ったようです。 面接の時も私を抜いて、すべての参加者が美容院に行ってフルセットをしてきたんですよ。 私はこっちの分野について知らなかったのだから...(笑)姿勢も皆まっすぐだったが、私はカメの首に前かがみでした。 別の意味でとても打ちのめされたんです。」

(中略)

外的に変化を与えた。 雑誌をたくさん見て、ファッションを変えましたよ。 頭を赤い色に染めました。(笑い)ジンギジュのトレードマークにしようと。 「良い変化」という賞賛を受け、本当に赤い髪のおかげで審査員が私を覚えたりもしました。」

 


ギジュちゃんのインタビュー読むと色々あって今に至ることがよく分かりますね...

今年28歳らしいけど、割と童顔?なのかホンビンと同い年か1,2歳上ぐらいかと思っていました。 

 

モデル大会の時

サムネイルもそうですが、7:38から出てます。

さっきのインタビューでも言ってたように髪が赤になってますね。

 

放送記者の経験から読むテストしています。

 

ロッテリアのCF

このギジュちゃん髪長いし何と言っても可愛い!!

 

最後にギジュちゃんのインスタグラム

www.instagram.com

 

色々紹介してきましたけど、何と言ってもギジュちゃんは笑顔が素敵!!!

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